戦乙女が舞い降りた地で、 外伝
架空戦記
戦乙女が舞い降りた地で、の外伝です。
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ある女学生と女性軍人の話
ようやく冬の寒さから解放され、少しずつ暖かい日が増えてくる季節の昼間、レベッカは一人、桜並木を歩いていた。 私は、レベッカ。ファメール皇国系の名門エリュバーレ女学校に通う最上級生だ。テストの成績は悪くないし、運動だってそれなりにできる。そればかりか、学年で五本の指に入る成績をとったこともあった。 しかし、周囲が私を見る目は絶対零度くらいに冷たい。 それも無理はない。無事卒業してしまう生徒は、良く言えば高嶺の花、正直に言えば売れ残りだ。軍人や国会議員にも女性は進出しているし、皇王も女性であるのだから、男女差別といったものはあまりなかったが、それでもまだ、このエリュバーレには良くも悪くも女学校は花嫁学校という考え方が根強くあった。 別に、私だって好きでエリュバーレに通っているわけではない。もっと、普通の学校に通って、普通に遊びたかった。勉強は嫌いではないが、テストで良い成績をとるのと同時に、どこか虚しさを感じていた。 ここまで来てしまったのには訳があった。まず、極度に男性が苦手だったのだ。告白されたことは、1度や2度ではない。だけれど、どうしても最後まで行けなかった。途中で突っぱねてしまう。そのせいか、同級生の話の輪にはなかなか入れなかった。どんな男性がタイプか、あの人が素敵だ、この人と付き合いたい。そんな話が耳に入るだけで嫌悪感さえ覚えてしまうのだから。 魅力的な男性がいないわけではない。でも、どこか納得できなかったのである。そんな気持ちのまま気を許してしまったら、全てを棒に振るような気がして首を縦に振ることは一度もなかった。 だから、あまり友達はいない。できても、結婚という名の卒業をしてしまうのだから、すぐにまた一人になってしまう。途中で辞めてやろうかとも思ったが、両親の目を気にして決断できずにいた。 道の両脇に植えられている桜の木には、花が満開で、何とも言えない美しさがあった。そよ風に揺れる木の枝が、私の状況を憂いで慰めてくれているように感じた。良く読む女性向けの漫画雑誌では、こんな桜の木の下で佇んでいると、この世のものでないような美形の男性が現れるのだが、現実にそんなことは起こらない。 起こったとしても、その時現れる男性がどんな容姿で、どんな性格をしていたら心身を預けてしまうのか、全く思い浮かばなかった。 それでも、毎日、毎年、この桜並木の場所に来てしまうのは、万に一つでも、そんな奇跡が起こるのではないかと心のどこかで考えているからだろう。奇跡なんて起こるはずないのに。起こらないから奇跡と言うんだ。そう思いつつも、やっぱり来てしまう。 精神と肉体が全く逆の行動をとることに戸惑いつつ、今日もそんなことを考えながら桜並木を歩るいていると、桜の木の終端が見えてきた。歩き終わったら、家に帰って次のテストの勉強をしなければ。 今日も、案の定何もなかったと、心の中でため息をついたとき、後ろのほうから声が聞こえてきた。 「あの、すみません。そこのお嬢さん。ちょっと、道を教えてもらえないかな」 声の主に向かって振り返ると、そこには暖かい陽気の中、長袖に長ズボンの真新しい軍服を身に纏い、片手で頭にかぶった帽子を抑える男性が一人いた。目鼻立ちが整っており、その長身と無駄なものは全くないと言えるほどの細い体をしていた。 「えーと、どちらへ行かれるんでしょうか?」 初対面だからではなく、心臓の鼓動が早くなる不思議な感覚に包まれながら、長身の男性に問いかけた。良く見ると、長く伸ばした後ろ髪をゴムでまとめていた。 「それがですね。この辺に、航空学校があると思うのですが、方角だけ見て歩いていたらすっかり迷ってしまいまして。たまたま、桜並木を見つけて歩いていたら、貴女を見つけた次第です」 「はぁ……、そうなのですか」 ただ道を聞かれているだけなのに、大勢の人の前でスピーチをするみたいに、緊張していた。彼を見ていると、頭の中が良く分からない何かでいっぱいになってしまって、何も考えられなくなってしまう。 「あの、大丈夫ですか?」 そんな私を心配したのか、彼が肩に手をかけてきた。その瞬間、体に高圧電流が流れたかのように、大きく体が一回震え、湯気が出るんじゃないかと思うくらい頭がぼーっとしてきた。 よろけかけた私を、彼は、素早い動きでその胸に抱え込んでくれた。 「風邪でも引いているんじゃないか? それなら、病院まで付き添おうか」 「いえいえいえ、全然大丈夫です。全く、ぴんぴんしてます!! これからフルマラソンを走れるくらいぴんぴんしています!!」 なんでこんなに反応してしまうんだろう。男性に声をかけられることなんか頻繁にあるんだから、これくらい冷静にできるはずだ。事務的に、質問に答えてすぐに別れよう。それから、すぐに帰ろう。 それだけは、頭の中で考えることができた。 「それで、航空学校ですね。それなら、この桜並木を出て、左に曲がって三つ目の信号のところにある書店を右に曲がって真っ直ぐ行けば辿り着けますよ。それでは、私はこれで!!」 足早にその場を立ち去ろうとした私を、彼が呼びとめた。 「あ、一つ言っておくけれど、誤解なら聞き流してほしいんだけど。男だと思って話していなかった?」 「えっ?」 言っている言葉の意味が一瞬分からなかった。男だと思っていなかったか、それは、男性だと思っているが、そのどこがおかしいのだろうか。どこからどう見たって男性にしか見えない。それのどこかおかしいと言うのだろうか……。 その言葉の意味に気づいた私は、先ほどとは違う意味で頭が沸騰した。 「ごごご、ごめんなさい。てっきり、男性の方かと」 地面に頭をぶつけるくらい勢いよく頭を下げて謝った。 イシュタルは、その真っ赤に染まった顔を見て体の底から湧きあがる笑いが口からあふれるのを両手で抑えたが、抑えきれなかった笑いがその隙間から漏れ出てしまった。 「ぶっ……。あははははは」 「そ、そんなに笑わなくたって良いじゃないですか!!」 レベッカが必死の形相で抗議してくるのがおかしくて、イシュタルは笑いが止まらなくなってしまい、腹を抱えて笑い続けた。 「ごめん、ごめん。笑ったのは悪かったよ。ただ、君が可愛くてね」 「言い訳になってません!!」 レベッカは、顔を真っ赤にしたまま、頬を膨らまして言う。 「じゃあ、何と言ったら許してくれるかな? 付き合うと言ったら許してくれるかな?」 九割九分九厘、冗談で言ったつもりのイシュタルが少し横目で見ると、レベッカは予想の正反対の表情をしてこちらを見つめていた。 「本当ですか!!」 「あ、いや、言葉の綾というか、半分冗談のつもりでな……」 そう言うと、レベッカは明らかに落胆した表情になって上目遣いに見つめてくる。急に罪悪感が湧いてきたイシュタルは、その場を取り繕うと言葉を紡ぎだす。 「え、あ、まぁ、やぶさかでもないというか、付き合ってもいいけど。あたしなんかと付き合わなくても、その容姿なら一人や二人くらい、彼がいるだろう?」 「私は、今、貴女に惹かれました。だから、あなたじゃなきゃだめなんです。こんな気持ちになったのは初めてだから……だから!」 イシュタルは、内心、とんでもない子に道を聞いてしまったなぁと後悔したが、このままでは時間に遅れてしまう。ならば、仕方がないか。そう、あきらめムードの中でレベッカのお願いを了承することにした。 「あぁ、私は構わないけれど、とりあえず今日は解放してくれないかな?」 「えっ? ……あ!! ごめんなさい、本当にごめんなさい!!」 そう言うと、レベッカは、イシュタルの手を引っ張って桜並木を抜け、目的の場所までひっぱて行く。 「あ、いや、道はわかってるから」 レベッカはイシュタルの問いかけが聞こえないかのようにその握った手を離さなかった。 「ここがそうです」 「ありがとう。じゃあね」 やっと解放された、早く先を急ごうとイシュタルが思い、レベッカに背を向けて歩き始めると、背中に声が掛けられた。 「ずっと、桜並木で待ってますから。絶対付き合ってくださいね。絶対ですよ!!」 「あ、あぁ……」 振り返らずに返答だけすると、足早に構内へと急いだ。 すぐに飽きるだろうと高を括っていたイシュタルの考えをよそに、レベッカは毎日、桜並木の下でイシュタルを待っていた。それは、桜の花が咲いている間も、散ってその後もずっと。 毎日様子をうかがっていたイシュタルも、レベッカの根気の強さに負けて、付き合うことにした。 ある日の夕方、その日もレベッカは学校帰りにいつもの桜並木の下でイシュタルを待っていた。夕方の空、高い場所にあった太陽が徐々に地平線の向こうに隠れていき、太陽の代わりに月が出てこようとしてきたころ、彼女が帰ろうとしていると遂にそれはあらわれた。 暗くなりつつあった桜並木の奥から、見覚えのある軍服を着た男性……に見えるイシュタルが歩いてきたのだ。レベッカは、こみ上げるものがあり、目に涙を浮かべながら、走り寄って抱きついた。 「いつまで待たせる気だったんですか! ずっと、待っていたんですから」 「あ、いや、その、悪かった。これからは、できるだけ毎日会いに来るからな」 何度も頷き、胸の顔をうずめてくるレベッカの頭をなでてやると、小動物のような甘い声を出してくるので、それが可愛くていつまでも頭をなで続けた。 「あ、じゃあ、今日はもう帰るから、また明日な」 一度強くレベッカを抱き締め、背を向けて歩いていこうとすると、レベッカが腕を掴んできた。 「どうしたんだい?」 「えと、その、お名前を、まだ、聞いていなかったと思うのですが」 これから付き合うことになるなら、ごく普通の質問をしているのだが、イシュタルは全くきれいさっぱり忘れていたのだった。 「あぁ、そうだったな。あたしは、イシュタル、イシュタル・アルフェレーラー。海軍兵学校を卒業して、航空学校に通い始めた一年生さ」 「私は、レベッカ。レベッカ・プレトリアっていいます。エリュバーレ女学校に通っています」 「エリュバーレって、あのエリュバーレ?」 「はい……、そうです」 イシュタルはどこかで見たことのある制服だと、ずっと考えていたのだが、それを聞いてやっと合点した。 「そんな有名どころに通ってるなら、彼氏の一人や二人入るんじゃないの? わざわざうちと付き合わなくたって」 はたから見ればかなり美形な部類に入るイシュタルであったが、当の本人にその自覚はなく、彼は自分を好きになった理由が不思議で仕方なかった。 「え、その、馬鹿にしないでくださいね?」 レベッカは、うつむき加減で両手の人差し指をツンツンと合わせながら言った。 「あぁ、言ってごらん」 イシュタルがそう言うと、意を決したようにイシュタルの目に視線を合わせ、レベッカは言った。 「え、えと、私、男の人が苦手なんです。イシュタルさんが言うように、今まで告白されたことは何度もあります。付き合おうと思ったことも何度もあります。だけど、どうしても男の人が苦手で、付き合うまで決断できなくて……。このまえ、あなたとあった時、初めてこの人とならと思ったんです。その後、女性だって知ってびっくりしましたけれど、でも、やっぱり、付き合うなら貴女が良い。そう思ったんです」 あまりにも真面目に告白されたので、イシュタルは照れてしまい、頭の後ろを掻きながらお礼を言った。 「ありがとう。今まで、男性の様に見られて不利益を被ったことは良くあるけれど、こうやって好意を寄せてもらえるなんてあたしも嬉しいよ。まぁ、とりあえず、友人から始めよう」 それからというもの、二人は毎日桜並木の下で待ち合わせし、いろんな所へ出掛けた。 最初は恥ずかしがっていたレベッカも、何度か話すうちに慣れていき、自分からリードして行動することも多くなっていった。 イシュタルも最初は、レベッカと付き合うことに少し違和感を感じていたが、同性なのに異性よりも不思議と強い好意を持つようになったのである。彼女と付き合っていると、彼女は気が利くというか、イシュタルの心の隙間を埋めるように接してくるので、とても強い一体感を感じた。 ただ、時々自分が女性であることにもどかしさを感じることがあった。もちろん、同性であるからこそわかることはたくさんあるし、だからこそレベッカも自分に惹かれたのだということは分かっていた。 しかし、男性だからこそできることもあるのではないかと考えた。幸い、と言えるのかどうかは分からないが、イシュタルには男性の友人がたくさんいたので、そこから情報を得ることにした。 友人たちには、なぜそんなことを聞くのかと疑問を投げかけるときがあった。初めて質問されたとき、イシュタルはとっさに、”小説を書いているから、そのために必要なんだ”と答えた。 我ながら無理のある答えだとイシュタルも気づいていたが、友人たちはそれ以上追求しないでいてくれた。心の中で、申し訳ないと思いつつ、レベッカを喜ばす為には仕方のないことだと自分に言い聞かせ、その気持ちを打ち消すように、レベッカとの関係を深めていった。 「なぁ、レベッカ。今日は良いこと教えてあげよう!」 ある日、イシュタルはレベッカに会うと自信満々にそう言って、近くにあるベンチに座るように促した。 「最近、すごい貴重な化石が発見されたらしいんだ」 この日のために、イシュタルは入念な準備を重ねていたのであった。それもこれも、一回レベッカを負かしてやろうと考えてからだ。 イシュタルはどっちかというと体育会系で、レベッカの豊富な文学的な知識に感心するばかりであった。だから、イシュタルは、自分とレベッカでは得意とする分野が違うのだから、勝てないこともたくさんあるのは仕方がないと自分に言い聞かせていた。 だが、どうしても彼女のプライドは今一つその言い訳に納得できないでいた。 そんな気持ちのイシュタルの目に飛び込んできたのが最近発見されたと新聞に載っていたある化石の記事であった。いくら博識のレベッカだって、いつも話すのは有名な小説家の話とか文学的なことが多かったのだから、こういう科学的、歴史的なことについてなら、一本とることができるのではないかと考えたのである。 思い立ったらすぐ行動だ。イシュタルは、課題等以外ではほとんど行ったことがなかった図書館へと足を延ばし、関係する本を読みあさった。 レベッカと違い、本を読みなれないイシュタルは、専門用語だらけの本と頭から湯気が立ち上るくらい格闘し、読破していった。専門書との戦闘を制したその様は、さながらボクシングの新人が世界チャンピオンを打ち負かした様な雰囲気を醸し出していた。 そして、待ちに待った当日である。イシュタルは、勉強してきたことを全て余すことなくレベッカに披露した。 レベッカは、彼女が話している間、頬杖をついて、笑みを浮かべながら、時に大きく頷いて聞いていた。 「すごい〜。よくそんなこと知ってるね〜。イシュタルさん、すごいすごい」 その言葉を聞いて、イシュタルはついにレベッカから一本とることができたとガッツポーズをしてレベッカを見つめた。 すると、レベッカは、笑顔のまま右手の指を一本立てて言った。 「一つ、聞いて良い?」 「ああ、もちろんさ」 イシュタルは、レベッカがこれに関してだけは負けを認めて、質問をしてきたのだろうと考えた。 「えーと、聞いても怒らない?」 何を質問したって、みんな分かっているんだから分からないと怒ったりなんかする理由なんてないのにと不思議にイシュタルは思った。 「イシュタルさんの話を聞いてて、すごい調べたんだなぁって感心したんだけど、一つだけ言いたいことがあって」 その言葉を聞いてあまりにもすごすぎて、文句の一つでも言いたくなったのかと考えたが、レベッカの言った言葉はイシュタルのどの予想とも違っていた。 「すごい惜しいんだけどね。イシュタルさんが可哀想だと思って黙っておこうと思ったんだけど、一つだけ間違ってるよ?」 「な、どこ?」 なぜだ、そんなことないに決まっていると言おうと思ったが、レベッカの言うことだ、本当にどこか言い間違えたのかもしれないと急に不安になって聞き返した。 「私の知ってる話だと、その発見はすごいと思うけれど、イシュタルさんの主張する新たな考え方に対する根拠が不十分かなぁと」 「は、はぁ」 イシュタルは、一瞬にして、自分の大逆転負けを認めざるを得なくなった。 こんな風に、レベッカが学校の先生のように説明し始めるときは確固たる根拠がある証拠だったからだ。 こうなってしまったら、レベッカを止めることはできない。いつからこのベンチは教室の勉強机の椅子に変わったのかと誰かに問いかけたくなるほど、レベッカは熱弁を振るい、イシュタルはそれをただ聞くだけしかできなかった。 付け焼き刃で覚えた自分の知識が、日々の勉強の積み重ねから来る知識に裏付けられたレベッカの話の前では、全く勝負にならないと見せつけられる格好になってしまったのである。 でも、レベッカが意気揚々と身振り手振りを交えながらする話はいくら長くなっても全く にならず。逆に、レベッカの熱意が伝わってくるようで、すがすがしかった。 二人は、確実に距離を縮めていき、自他共に認める恋人同士になっていった。もう、二人のことを知らないのは両方の親くらいなものだろう。まぁ、そこが一番の難題だったのだが。 「ねぇ、イシュタルさんの航空機を操縦しているところを見てみたいな」 いつものように会うと、突然、レベッカはそんなことを言ってきた。 「それなら、いつも練習飛行するときはこのあたりを飛んでいるから、レベッカも見てると思うけど?」 確かにそれは事実で、ある時は学校から帰る道の途中で、ある時は授業を受ける教室の窓から、中高度を飛ぶ透き通るような薄いブルーの塗装が施され、練習機にしておくにはもったいないと思うようなスタイリッシュな航空機が飛行機雲を描きながら飛んでいるのを度々目撃していた。時折、機体を左右に振って合図を送ったり(後でこれはバンクと言うものだとレベッカは知った。)、華麗に上昇、降下、旋回を試みたりする様をこの中に憧れのイシュタルが乗っているのだと胸を弾ませながら眺めていた。 「うん、それはそうだと思う。だけど、もっと側で眺めたいの。イシュタルさんが乗り込むところを見てみたい。それから、飛び立つところを見て、空を鳥のように羽ばたいて、そして帰ってくる様子を一秒も逃さないように見てみたいの。だめかな……?」 イシュタルは、近くにあったベンチに腰掛けると、足を組んで、右手を肘から立て、その上に頭を載せて俯き加減にうなった。 レベッカも自分で言ってみたものの、どこまで実現可能かは薄々はわかっていた。彼女が通う航空学校では限られた催しもの以外では外部の人々を入れることはないし、まして、入学間もない練習生の操縦を人前で披露させるなんてことはしていなかった。 それに、今はその催し物の季節でもない。たった一人のために門を開放してくれるなんてレベッカはこれっぽっちも思わなかった。ただ、それでも、一度言ってみる価値はあると思った。それでだめなら諦めよう。いつものように窓から、帰り道から眺められればそれで十分だ。そう自分に言い聞かせて納得させようとすると、おもむろに顔を上げたイシュタルが言った。 「うーん、どうだろう。一応、うちの指導官に聞いてみるけれど。あまり期待はしないでね?」 自信なさそうに、申し訳なさそうに言うイシュタルに、レベッカはとびっきりの笑顔を向けて言った。 「うん、それで良いよ。無理なら無理でも良い。でも、万に一つの可能性があるんじゃないかなって思って聞いてみたの」 レベッカが言い終わるとイシュタルが何かひらめいたようにぱっと表情を明るくして何か言おうとしたが、レベッカはそれを制し、次の言葉を言った。 「言っておくけど、その指導官を騙したり、誤魔化したりして私に見せようなんて真似はやめてね。私は別に怒られたって何されたって構わないけれど、そんなことしたら、イシュタルさんの航空学校でのこれからに傷をつけることになっちゃうかもしれないと思うから。出来る範囲のことをしてくれれば良いの。分かった?」 いたずらをした生徒を咎める学校の女性教師のように言い、最後にもう一度念を押した。 「あぁ、分かったよ。レベッカにそこまで言われちゃったんじゃ、どうしようもないな。大人しく従います」 武士が武器を捨てて降参という意思を表すように、首筋がレベッカに見えるように頭を下げた。レベッカは、またもや教師のような柔和なまなざしを向けて、一言、分かればよろしいと言った。 「そうと決まれば、あとは行動あるのみだな。早速、言って聞いてみるよ。じゃあ、返事楽しみに待っててね」 「あ、イシュタルさん。……あ、もうっ。そういう、体がすぐ動いちゃうのを直せばもっと冷静な判断ができると思うんだけどなぁ」 今すぐに聞かなくたって良いのにと言おうとして、踵を返して走って行ってしまったイシュタルの後姿を見て、レベッカは呟いた。 「まぁ、良いか。そんなところも含めて気に入って好きになったんだものね」 レベッカも軽くターンをして、反対方向へ歩いて行った。 軽く約束してきたイシュタルであったが、いざ、それを聞くべき相手の目の前に立った時、自分の無謀さに頭を抱えたくなった。 既にほかの生徒は帰ってしまい、荷物をまとめて帰ろうとしていた指導教官の執務室をイシュタルは尋ねたのであった。 「で、何を聞きたいのかね」 決して若くはないが、それでもどのパイロットにも負けない屈強な体と視線の鋭さを兼ね備え、髭をたっぷりと蓄えた初老の指導教官は、両肘を机につきながら言った。 「え、その、聞きたいことは一つでありまして、その、えーと、つまりはですね……」 どう切り出そうか、ああでもない、こうでもないと攻めあぐねていると、指導教官がぎらっと睨むような仕草をした。 「え、えと、その……飛行訓練の様子をか、……彼女に見せたいと思いまして」 「ほう、それで?」 顔色一つ変えず、肯定も否定もせずに次の言葉を促す指導教官に、長身の体を天敵の襲来に怯える小動物のように体を震わせながら口を開いた。 「その、別に、飛行場の中に入れさせてほしいとは申しません。ただ、どこか訓練の様子を見られるような場所で……ということで」 目を瞑り、静寂が支配した執務室の中で、ただひたすら結果を待ってその静寂に耐えた。 「うむ、君の言いたいことは分かった。だが、しかし、最近はいろいろあって、君の言うようには出来ないと思う。すまんが諦めてくれ」 「はい……」 うなだれて部屋を出て行こうとするイシュタルの背中に指導教官の声が投げかけられた。 「そうだ、一つだけ良いことを教えてやろう。飛行場の南にある塀の近くに大きな木が立っていてな。そこから登って見れば中は見えるかもしれない。それだけは言っておく」 「あ、ありがとうございます!!」 そう言って出て行こうとすると、もう一度だけ指導教官が呼びとめこう言った。 「愛し合うのに年齢も性別も関係ない。君は、彼女を大事にし給え。女性を粗末に扱う奴は、機械も粗末に扱うからな。君はそんな奴だったかね?」 「あのさ、とびっきりの報告があるんだ!」 その夜、イシュタルはレベッカの家へ電話をかけて言った。一応電話番号は交換していたが、親にばれたらいろいろ面倒だからあまりかけないでとレベッカは念を押していたが、今はいてもたってもいられなかったのである。 「どうしたの? こんな遅くに。お父さんがうるさくて言い訳するのに大変だったんだから短く言ってよね」 小鳥がさえずるような小さな声だけではレベッカの様子を正確に推し量るのは難しかったが、受話器のスピーカーから遠くのほうで話す父親らしい声が聞こえてくるのが分かった。イシュタルは、短く謝ると、早速本題に入った。 「他の人には内緒にして欲しいんだけど、飛ぶところ見られるかも」 「ほ、本当!! …あっ、ごめんなさいお父さん。静かにするから。……えと、それで、その、どこに行けば見られるの?」 思わずイシュタルが耳から受話器を遠ざけるほどの怒鳴り声が響き、暫し受話器から声が少し遠くなり、また戻ってきたレベッカがひそひそ声で言った。 「航空学校の南側に川が流れてるだろう? そちら側からもしかしたら見えるかもって」 「でも、周りは塀で囲まれてたから、どうやって?」 「あ、えと、細かい話は気にしないってことで。とりあえず、明日来ればわかるよ。それじゃあ、これ以上レベッカの父親を怒らせたら悪いから切るね」 「えっ、あ、うん。じゃあ、またね」 質問への回答もそこそこに、用件だけ伝えるとイシュタルはすぐに電話を切った。 あとで指導教官にはお礼を言っておかないとなとイシュタルは心の中で思い、すぐに自室に戻って行った。 翌日、ちょうど学校が休日だったので、朝早くから航空学校の南へレベッカは来ていた。 「そういえば、何時に来ればよいか聞いてなかったな。まぁ、良いか。いつも大体何時くらいに飛んでいるのかは分かってるんだし」 誰も周りにいないことをいいことに、独り言をつぶやくレベッカであった。 現場に来てみると、予想通り、航空学校の周りは塀で囲まれており、中の様子はみられない。どこから見るのかと塀沿いに歩いていたレベッカは、一か所だけ開いたコンクリートのほころびを見つけた。そのままでも中の様子は見ることはできたが、どうも見づらかったので、周りを確認しつつ、近くにあった木に手をかけるとするするっとロープで引かれているように木に登り、太い枝に腰掛けた。 「よいしょっと。これでどうかな」 眺めは最高だった。木に登ると、ちょうど縦に二本並んだ滑走路を見ることができ、そのすぐ脇に良く空を飛んでいるのを見る航空機が何機も停まっているのが確認できた。 まだパイロットはどの機体にも乗っていないようだったが、すぐに列を組んだ飛行服姿の一団が現れた。ほとんどが男性ばかりだが、一人だけ肩より少し下まである銀髪を頭の後ろでまとめ、ポニーテールにしている女性が目に入った。 間違いなくイシュタルだ。どの機体で飛び立つのかわくわくしながら見ていると、前から三番目の機体に乗り込むのが見えた。コックピット内に乗り込んだイシュタルは、いつも顔を合わせているレベッカも驚くような真剣な表情で計器類のチェックを行い、主翼や尾翼を動かして駆動系のチェックを行っていた。 「これがパイロットのイシュタルさん……」 イシュタルの前の機体が飛び立ち、ついに彼女の番がくると、よりいっそうレベッカの気持ちは高ぶった。機体を地面に引かれた線に沿って器用に動かすと、コンクリート舗装された真っ直ぐに伸びる滑走路へと進入する。 滑走に進入すると、イシュタルは一度機体を停止させて、次の指示を待っているようだった。早く飛び立つところを見たいレベッカは、なんとか自分の気持ちを落ち着かせながら、離陸の時を待った。 イシュタルは、通信機に向かって何やら確認すると、機体を発進させた。加速度的に速度を増し、長い滑走路を三分の一くらい過ぎたところで、一瞬重力から解き放たれたように機体が浮かび上がり、また接地する。そして、今度こそ完全に地上から飛び立つべく機体が再び空へと舞い上がった。 今度は、高度を下げることなくどんどん上昇していく。離陸すると、すぐに空気抵抗の邪魔になる脚を主翼の中に仕舞、更に速度を増して上昇し始めた。そして、イシュタルの機体は、米粒の大きさと同じくらいに見える高度まで上昇すると上下左右、自由自在に機体の体勢を変えて大空を舞った。 それは、大空を羽ばたく鳥のようとも、海を力強く泳ぎ回る魚のようとも思えた。魚だとしたら、自分は珊瑚かなと思いながら機体を見つめた。空を飛ぶとはどんな気分なんだろう。愛するイシュタルと一緒に飛べたらどんなに幸せなんだろう。そう、レベッカは思った。 飛行機に乗った経験といえば、旅行で乗った中型旅客機と、飛行艇くらいだったが、そのどちらもただ乗っただけであって、イシュタルのように自分で操縦したわけではなかった。このまま地上にいたら、どんなに知識を増やして、どんなにいろいろなことを知っても、飛行機を自分で操縦してイシュタルと同じ気持ちを味わうことなんてできないと思った。 やっぱり、同じ経験をするには、同じにならないといけないのだ。そう思うと、先に空を自分のものとしているイシュタルのことを嫉妬してしまうレベッカであった。 イシュタルの練習機は一通りの機動を行うと、見えない糸にでも引っ張られるように滑走路へと機体を誘導し、着陸のため、主翼から脚を出し、ほとんどバウンドすることなく接地した。 あまりの操縦ぶりに、思わず拍手で出迎えてしまった。 イシュタルの操縦を間近で見たレベッカは、それも出来るだけ早く、彼女のように自由に空を舞ってやると心の中で誓ったのであった。 「私もパイロットになる!!」 イシュタルが感想を聞こうとレベッカに会うと、彼女はイシュタルの質問も遮って最初にそう言った。 「え、いや、パイロットって楽しいことばっかりじゃないよ。怖いこともあるよ? 事実、私だってヒヤッとすることなんて何度あったか分からないくらいあったし。普通に飛行機乗るほうが安全だよ? それに、私たちは民間パイロットじゃないんだよ。軍用機のパイロットなんだ。戦うんだよ、撃つんだよ、そんなことレベッカにはさせられない」 こればかりはイシュタルも譲るつもりはなかった。いくらかっこよくたって、戦争が始まったら否応なく前線へと送られるんだ。純粋無垢なレベッカを無情な戦場で汚したくないと考えていたのであった。 だが、レベッカも一歩も譲らなかった。 「そんなこと、とっくに分かってるよ。前にも言おうと思って躊躇したことはあるよ。だけど、イシュタルさんの操縦を見て思ったんだ。私も同じように、同じ機体で、あの同じ空を羽ばたきたいって。自分だけ空の楽しさを満喫するなんて許さないんだから」 頬を膨らませて懇願するレベッカに、尚も踏みとどまらせようとするイシュタルの唇をレベッカは人差し指で封じて言った。 「それ以上は、めっ!! 恋人になるってことは、パートナーになるってことでしょう? だからこそ、楽しいことも苦しいことも共有したい、それが恋人ってものでしょう?」 そこまで言われると、イシュタルも反論しようがなかった。彼女も心の中では、もっとずっと一緒にいたいとも考えていたのである。 「飛行機を操縦しているときのイシュタルは、すっごく嬉しそうだった。だから、私も同じ気持ちを味わいたいの。パートナーなんだから」 「そこまで言うなら、もう何も言わないよ。ただ、厳しいのは確かなんだからね?」 「えぇ、もちろん。望むところよ」 二人が手をつなぎ、空を見上げると、別の飛行隊が空を飛んでいた。それは二機編成の部隊で、手をつないだ二人のように、どちらも遅れることなく、前に出ることもなく、一緒の機動をして空に飛行機雲の絵を描いていた。 いつかあの二機のように自分とイシュタルが編隊を組んで飛ぶ未来を既に知っているかのように、鮮明に想像した。 思い立ったら吉日、とまでは行かなかったが、女学校を卒業するとレベッカは早速海軍兵学校の門を叩いた。時代は、航空機の地位をどんどん高めており、パイロットのコースにもたくさんの男女が応募したが、レベッカは持ち前の運動神経と勤勉さで見事にこれを突破した。 パイロットの道へ進んでからというもの、イシュタルと直接会える機会はめっきりと減ってしまったが、レベッカは全くさみしいとは思わなかった。頻繁に文通をしているからということもあるが、このままパイロットの道を進んでいれば必ずまたイシュタルと一緒になれる。そう確信できた。 なぜならば、近頃優秀な女性パイロットを集めて、女性だけの航空隊を作ろうと言う話が持ち上がっていると聞いたからであった。いくら女性の軍への進出が進んでいると言っても、大半が裏方仕事の様な後方任務だ。パイロットを志そうとする女性はそれほど多くない。 だが、ライバルがいないわけではない。こうやって海軍兵学校に進む者もいるし、緊急事態ともなればパイロットの募集がもっと増えるだろう。その中で優秀な成績を収めることは決して楽ではない。 しかし、彼女は恐れなかった。必ずや、飛行技術を高め、イシュタルと共に空を飛ぶと。そのためなら、どんなにつらい訓練でも何でも耐えてやると。 そう彼女は心の中で誓い、空を自分のものとするため、コックピットへと乗り込むのであった。
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